由緒

國王神社は、平将門公・終焉の地に静かに佇む古社です。

将門公の三女・如蔵尼(にょぞうに)が、父の最期の地に庵を建てたことが國王神社の創始であり、父の三十三回忌に当たって刻んだ「寄木造 平将門木像」(茨城県指定文化財)を御神体に戴いております。

平将門木像

創建と歴史

天慶三年(940)二月十四日、新皇として下総国猿島郡石井郷(現在の茨城県坂東市岩井)に営所を構える平将門軍と、朝廷による将門討伐の命を帯びた藤原秀郷・平貞盛連合軍が、この地で最終決戦を迎えました。

将門の精鋭400騎は、敵軍3,000騎に対して当初は追い風を得て、敵を圧倒します。
しかし、にわかに風向きが逆転して劣勢に立たされた将門は、陣を敷いた北山へと退く途中で、流れ矢に当たって戦死したといいます。

地元の言い伝えによれば、首を取られた将門の身体は馬に乗せられ、後に國王神社となるこの場所(石井営所近辺)に辿り着いたのです。


月日は流れ、将門の最期から三十二年が過ぎたあるとき、一人の尼僧が石井郷を訪ねてきます。
それは、奥州・慧日寺に逃れていた、将門の三女・如蔵尼でした。

奥州で隠遁生活を送っていた如蔵尼は、あるとき悪夢を得て、急いで下総に帰郷すると、村人に父の最期の地を尋ねたのです。
熾烈な残党狩りの記憶から、口を閉ざしていた村人たちでしたが、尼僧が将門の縁者だと分かると、将門が辿り着いた最期の地──現在の國王神社へと案内したのでした。

如蔵尼はこの場所で、傍らの林の中より怪木を見つけると、一刀三礼しつつ心厳かに父の霊像を刻んだといいます。
そして春、父の三十三回忌にあたる二月十四日には祠を建て、「國王大明神」の神号を奉りました。
天下泰平、国家安全を祈願して傅いたこの祠こそ、現在の國王神社であり、以来千年の永きに亘って深い信仰を集めています。